「寝ながら学べる構造主義」②

◼️「無意識の部屋」フロイト

     構造主義の源流には、マルクスと並んで、フロイトもその名を連ねます。マルクスは、人間の思考を規定するものとして、労働における対外的な関係に着目しました。一方フロイトは、人間の最も内側にある領域、「無意識」が人間の思考を支配していると考えます。

     人間は、自分は主体的に思考していると考えています。しかし、今、自分が思考する対象となりうるのは、無意識によって思考の対象として選出されたものだけなのです。

     マルクスフロイトに加え、ニーチェ構造主義の源流と言えます。「我々に対して、我々は決して認識者ではない」というフレーズから分かる通り、彼もマルクスフロイトと同じく、人間の思考が不自由であることを指摘します。彼は自意識の欠如した大衆に怒り、彼の著作の多くは、現代人はバカだと痛烈に批判する内容となっています。

     マルクスフロイトニーチェも、アプローチは違えど、人間の思考は不自由であると看破した点では同じです。こういった、自分たちの思考への疑いが、構造主義の下地となっていきます。

 

◼️結局、構造主義は誰からはじまる?

     マルクスフロイトニーチェは20世紀の知の枠組みそのものを形づくった人物であるので、構造主義ももちろん影響を受けているのですが、彼らが構造主義の直接の源泉とは言えません。

     では、誰から構造主義は始まったのかというと、一般的には、フェルナンドソシュールという言語学者があげられます。彼は、フロイトが大学で精神分析の講義をしていた1907年ごろ、スイスの大学で、「一般言語学講義」という専門的な講義を行っていました。

     なぜ、言語学者が、構造主義という思想の生みの親になるのかは複雑なので、ここでは、彼の最も重要な知見のみをあげておきます。それは「言葉は『ものの名前』ではない」ということです。我々の感覚的には、「ものの名前」をつける以前に、「ものそのもの」が存在して、それに対して人間が様々な言語で名前をつけていくもいう言語感がしっくりきます。しかし、ソシュールは、名付けられることによってはじめて、らものはその意味を獲得する。命名される前には、名前のないものは存在しない。そう考えました。

     言語活動とは、すでに分節されたものに名前を与えるのではなく、非定型的な世界を切り取る作業そのもの。名前がつくことで、ある観念が我々の思考の中に存在するようになるのです。

     この言語観が、どのように構造主義へと発展していくのかは、今の私にはわかりません。しかし、ソシュールマルクスフロイトに共通するのは、人間の思考の枠組みは自由ではないという主張にあります。