「はじめての構造主義」①

◼️フェルディナンドソシュール

     構造主義の生みの親とされる、レヴィ=ストロースが、構造人類学を確立できた背景には、2人の人物がいる。1人は、第二次世界大戦の際、レヴィ=ストロースと同じくアメリカに亡命していた言語学者ローマン・ヤーコブソン。もう1人は、スイスの言語学者フェルディナンドソシュールである。

     レヴィ=ストロースは、アメリカ亡命中に、ヤーコブソンを通して、ソシュールの学説の意義をしることとなる。

     ソシュールは、スイスの言語学者で、ジュネーブ大学で講義をしていた。彼の講義をまとめたものとして、「一般言語学講義」が1916年に発表されている。ただしこれは、彼の死後に講義の受講生たちがまとめたものであり、不正確な部分も多々あったそうである。

     この、「一般言語学講義」が、20世紀のあらゆる言語学に影響を与えることになるのだが、ソシュール言語学の新しさは一体どこにあるのだろうか。

     まず、ソシュール言語学の対象を絞った。ソシュール以前の言語学は、言語の歴史的研究に重点を置いていた。しかし、ソシュールは、ある時代に釘付けにした言語秩序(共時態)を研究対象とした。

     この前提に立った上で、ソシュールは言語とはどういう現象なのかという、難問に立ち向かった。

     この問題に対し、ソシュールが出した答えは、『ある言語が指すものは、世界の中にある実態ではない。その言語が勝手に切り取ったものである。言語はその対象と結びついているわけではなく、恣意的に組み替え可能である。』といったものである。

     レヴィ=ストロースは、このソシュールの方法論は、言語学以外にも適用可能だと考えた。