「はじめての構造主義」⑤

  構造主義は、西洋の伝統的な知のシステムを批判します。例えば、キリスト教圏では絶対的な存在である神の教えを示した聖書に対して、構造主義は聖書というテキストそのものよりも、「読む」という態度を上位に置きます。

 

  構造主義は、西洋の知のシステムのメインストリートとも言える、「真理」についても批判します。真理は、制度に過ぎず、時代や文化によって変化するものだと示したのです。

  その、真理批判のロジックは次のようなものでした。ヨーロッパでは、真理の探究に際して、「数学」や「科学」を活用していました。しかし、それらの手段は実は単なる制度でしかないということが示されてしまいます。さらに、未開人が持つ神話を研究すると、数学や科学と同じ構造が発見されてしまいました。であれば、西洋も未開人も、質は違えど、同レベルの構造の知のシステムを持っており、上下はないという結論になります。

  構造主義が示したこと結論は、自分たちの理性に対する自信を深めていた西洋人にとっては、受け止め難い事実でした。

 

「はじめての構造主義」④

◼️神話研究

    レヴィ=ストロース民俗学研究から、神話研究へと対象を移していくのだが、彼以前の神話研究はどのような状態だったのだろうか。神話は、あらゆる民族が持っており、神話を持っていない民族はいないと言える程であった。しかし、各地の神話を集めたはいいものの、共通項はあれど、どう分析すればいいかわからないという状態であった。

     そこで、レヴィ=ストロースは以下のような神話分析手法をとった。

①神話の分析単位を、各神話ではなく、神話の集合に格上げ

②神話の筋を無視して神話素に分解

③神話素を貫く対立軸を発見

④表を作り、神話素を対立軸の上に書き並べる

     このような、レヴィ=ストロースの分析は鮮やかであるが、他の誰がやっても同じ結果となるかは怪しかった。

     しかし、レヴィ=ストロースの神話分析の手法は、西洋知的世界に大きな衝撃を与えた。なぜなら、神話分析は、テキストを破壊してしまう、無神論の学問だからである。

 

「はじめての構造主義」②

◼️音韻論の発達

     レヴィ=ストロースが、自身の人類学研究に応用したのは、ソシュールの影響を受けて発達した音韻論の方法である。

     音韻論とは、言語学の一分野である。言語学は、音韻論、統語論、意味論に大きく分けることができる。音韻論は、ソシュールによる言語記号の恣意性の原理を活用し、音素の概念を発見した。

「はじめての構造主義」①

◼️フェルディナンドソシュール

     構造主義の生みの親とされる、レヴィ=ストロースが、構造人類学を確立できた背景には、2人の人物がいる。1人は、第二次世界大戦の際、レヴィ=ストロースと同じくアメリカに亡命していた言語学者ローマン・ヤーコブソン。もう1人は、スイスの言語学者フェルディナンドソシュールである。

     レヴィ=ストロースは、アメリカ亡命中に、ヤーコブソンを通して、ソシュールの学説の意義をしることとなる。

     ソシュールは、スイスの言語学者で、ジュネーブ大学で講義をしていた。彼の講義をまとめたものとして、「一般言語学講義」が1916年に発表されている。ただしこれは、彼の死後に講義の受講生たちがまとめたものであり、不正確な部分も多々あったそうである。

     この、「一般言語学講義」が、20世紀のあらゆる言語学に影響を与えることになるのだが、ソシュール言語学の新しさは一体どこにあるのだろうか。

     まず、ソシュール言語学の対象を絞った。ソシュール以前の言語学は、言語の歴史的研究に重点を置いていた。しかし、ソシュールは、ある時代に釘付けにした言語秩序(共時態)を研究対象とした。

     この前提に立った上で、ソシュールは言語とはどういう現象なのかという、難問に立ち向かった。

     この問題に対し、ソシュールが出した答えは、『ある言語が指すものは、世界の中にある実態ではない。その言語が勝手に切り取ったものである。言語はその対象と結びついているわけではなく、恣意的に組み替え可能である。』といったものである。

     レヴィ=ストロースは、このソシュールの方法論は、言語学以外にも適用可能だと考えた。

「寝ながら学べる構造主義」②

◼️「無意識の部屋」フロイト

     構造主義の源流には、マルクスと並んで、フロイトもその名を連ねます。マルクスは、人間の思考を規定するものとして、労働における対外的な関係に着目しました。一方フロイトは、人間の最も内側にある領域、「無意識」が人間の思考を支配していると考えます。

     人間は、自分は主体的に思考していると考えています。しかし、今、自分が思考する対象となりうるのは、無意識によって思考の対象として選出されたものだけなのです。

     マルクスフロイトに加え、ニーチェ構造主義の源流と言えます。「我々に対して、我々は決して認識者ではない」というフレーズから分かる通り、彼もマルクスフロイトと同じく、人間の思考が不自由であることを指摘します。彼は自意識の欠如した大衆に怒り、彼の著作の多くは、現代人はバカだと痛烈に批判する内容となっています。

     マルクスフロイトニーチェも、アプローチは違えど、人間の思考は不自由であると看破した点では同じです。こういった、自分たちの思考への疑いが、構造主義の下地となっていきます。

 

◼️結局、構造主義は誰からはじまる?

     マルクスフロイトニーチェは20世紀の知の枠組みそのものを形づくった人物であるので、構造主義ももちろん影響を受けているのですが、彼らが構造主義の直接の源泉とは言えません。

     では、誰から構造主義は始まったのかというと、一般的には、フェルナンドソシュールという言語学者があげられます。彼は、フロイトが大学で精神分析の講義をしていた1907年ごろ、スイスの大学で、「一般言語学講義」という専門的な講義を行っていました。

     なぜ、言語学者が、構造主義という思想の生みの親になるのかは複雑なので、ここでは、彼の最も重要な知見のみをあげておきます。それは「言葉は『ものの名前』ではない」ということです。我々の感覚的には、「ものの名前」をつける以前に、「ものそのもの」が存在して、それに対して人間が様々な言語で名前をつけていくもいう言語感がしっくりきます。しかし、ソシュールは、名付けられることによってはじめて、らものはその意味を獲得する。命名される前には、名前のないものは存在しない。そう考えました。

     言語活動とは、すでに分節されたものに名前を与えるのではなく、非定型的な世界を切り取る作業そのもの。名前がつくことで、ある観念が我々の思考の中に存在するようになるのです。

     この言語観が、どのように構造主義へと発展していくのかは、今の私にはわかりません。しかし、ソシュールマルクスフロイトに共通するのは、人間の思考の枠組みは自由ではないという主張にあります。

     

「寝ながら学べる構造主義」①

この本は、内田樹さんという、フランス現代思想を専門とする元大学教授の方が書かれています。内田樹さんは、毎年数々の書籍を書かれており、大きな書店では彼のコーナーが設けられていることも多々あります。「わかりにくいことを、非常にとっつきやすく書く」ということが上手い方です。今回の書籍も、フランス現代思想という難しい分野の入門書ではあるのですが、タイトル通り、寝ながら学べてしまうような心地よいテンポで、読み進めて行くことができます。では早速、内容に進んで行きましょう。

 

◼️構造主義は終焉したのか

     我々が生きる現代は、思想史的な区分では、「ポスト構造主義」の時代と呼ばれます。「ポスト」とは、ラテン語で「〜以後」という意味ですので、言ってみれば、構造主義がひと段落した時代というところでしょうか。

     しかし、ひと段落したと言っても、構造主義が途絶えてしまったわけではありません。むしろ、構造主義の思考方法が、我々にとってあまりにも自明のものになった時代と言えるでしょう。

     では、我々の思考の型を作っている、構造主義とはどのようなものなのでしょうか。簡単に言うならば、「人によって見える景色は別物であり、その景色をどう捉えるかは等価である」といった考え方です。A国人とB国人のものの見方はとりあえず、等権利的であり、いずれが正しいのかということは、にわかには判定し難い。このような考え方は、すでに常識となっていますが、世界的に常識として定着したのは、ここ30年程という、非常に若い常識なのです。

 

◼️構造主義の源流 カールマルクス

     すべての構造主義者に共有される、構造主義の源流となるのがマルクスの思想です。マルクスは、人間には普遍的人間性が宿っているという伝統的人間観を退けた人間です。彼は、人間の個別性は、その人が「何者であるか」ではなく「何事をなすか」によって決定されると考えました。

     主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。人間は、動物のように、ただ自然的に存在していることには満足できないのです。